薮中三十二様(野村総合研究所顧問、前外務省事務次官)国際情勢と日本外交

小島明 氏(日本経済研究センター研究顧問)「大震災でパラダイム転換した日本経済」

はじめに

本論の前に、昨日まで行っていた上海について

 浦東地区は依然建設が続いている。現在一番高い森ビルのすぐ隣に、さらに高いビルの建築が始まっている。500mの高さ、120-30階になるのだろうか。市の当局者に聞くと、上海地区だけで28階建て以上のビルが4,000くらい。40階建て以上でも、2,000本くらい。これ以上になると、地下水がなくなってしまうとか。空き家はいっぱいあるが、建設ブームが続いている。
 上海に限らず、大都市で不動産価格が高騰している。それに対する庶民の不満が鬱積しているので、中国政府は抑えにかかり、銀行に「(建築投資には)融資をするな」と指導している。しかし、小さくても300uが基準、10億円くらいというマンションを、金持ちはキャッシュで買ってしまうので、抑えが利かないという。
 上海総領事の泉裕泰さんにお会いする機会があったが、今回の大震災に対する中国のひとたちの温かい心遣いに涙したと話された。小学校のこどもたちやいろいろな団体の関係者から、手紙、電話、FAX、Emailが送られ、領事館だけで3億円のお金がよせられたという。  政府間ではいろんなことがあっても、日本が大好きだという気持ちは変わらずに流れているとのことだった。

もう一つ、開会前の雑談で話題になっていたピーター・ドラッカーのこと

 私とドラッカーとの出会いは、1979年にニューヨークに赴任したときで、真っ先に会ったアメリカ人の一人が当時カリフォルニアに住んでいたドラッカーだった。ニューヨークから飛んでいくと、ウマが合って半日くらい付き合ってくれた。
 「日本に対する関心は何処から」という話しの中で、ヴェルディのオペラ、【フォルスタッフ】のことが出てきた。「自分の人生観は『今日よりも明日、明日より明後日、よりいい仕事、より良い人生をと努力する』」ことだ。それを、ヴェルディに学んだ」という。ウィーンに生まれの音楽好き。転々と移り住みながら、フランクフルトで仕事をしていた18歳のとき、ヴェルディの音楽会で大変感動した、オペラの大作【フォルスタッフ】。それで、この音楽家のことを調べてみると、感動することが次から次にと出てきた。【フォルスタッフ】は、ヴェルディ80歳(三枝成彰さんによれば79歳)のとき、最後のオペラ作品。オペラというのは、主役が死んでしまうような印隠滅滅たるのが多いのだけれど、これは人生賛歌、人間賛歌の明るいコメディだった。80歳というのは、当時のヨーロッパでは平均寿命が40歳くらいだったから、今で言えば120歳くらい、その年で大作を作ったというのは大きな驚きだった。
 ヴェルディは、最初はめぐまれない家庭に育ったけれども、後にはヨーロッパでワグナーと名声、富を二分するまでの人気を得て大成する。「そこまで成功したのだから、そろそろハッピー・リタイアしたらいいのではないか」とみんなに言われた。それに対して「わたしはいろいろな失敗をしてきた。人間だけが失敗から学び、さらにいいものが作れる、そういう動物なのだ。わたしはみなさん以上に失敗をしてきたから、リタイアすることはできない」と言って作曲を続けた。  「あなたの作品はたくさんあるが、そのなかでもどれがお勧めか」と聞かれて、「いや、待ってくれ。次の作品を期待してくれ」と。この姿勢、これが若いドラッカーの感動を呼び、彼はずっとそれを反芻しながらやっていき、95歳まで生き、最後まで元気で現役でいた。
 それで、日本についての関心だが、20代になってロンドンで仕事をしているとき、日本の美術展に行く機会があって、それに大変感動した。水墨画のような淡白な作品で、当時のヨーロッパではゴテゴテ塗った油絵が当たり前だったときに、空白があったり細い線がすーっと描かれていたりという絵画の手法が衝撃であったらしい。とても感性豊かなひとで、彼はそれから日本画のコレクションを始める。ドラッカー・コレクションというのは相当なもので、東京でも大展覧会が開かれたことがある。
 新しいタッチの美術品に接して、彼は考えた、「これはどういう国のひとが作ったのか」と。それで日本を調べる事になる、その最初に出会ったのが明治維新だった。彼は繰り返し語っているが、近代史において、あるいは人類にとって、最も輝かしい成功を収めた大改革だ、と。アイデンティティも失わず、比較的短期間に、戦争も起こさず、根本的な大改革をした―ということから日本に感動することになる。
 その、感動の背景として、当時ナチズム、ヒットラーがヨーロッパを蹂躙しつつあったことがある。ドラッカーは、若いときからナチズムを批判的に分析し、本も書く。それが禁書となって結局ドイツにいられなくなり、ロンドンに移る。ロンドンでもその書にはしり込みされて刊行できない。
 書いたのは26歳くらい。たまたま大恐慌後のアメリカに移住し、それからずっとアメリカ人として生活することになった彼が30歳になった、つまり移住して二、三年経った頃、アメリカでそれが出版された。この本、『経済人の終焉』はいまだに社会学系では必読書の一つで、日本でも読みやすい訳書が十年ほど前に出されている。
 「日本の発見」は、ヨーロッパがナチズムに蹂躙されて、資本主義、自由経済、自由主義、既存のキリスト教理念などの全てが打ちのめされている異常な時代、それに対する強い不快感、危機感を持っているとき、日本の明治維新が社会のアイデンティティを失わずに大改革を達成したものであることを知って、それに感動するということであったわけだ 。
 それからずっと日本を見つめていく。そのうち日本が勇み足をして戦争をし、敗れる、その後の敗戦からの立ち上がりがまた見事だった、その原動力が何かということで日本の社会と日本の企業家に注目して日本を観察していく。彼は総括して「自分の活きざまはヴェルディが教えてくれた。自分のライフワークは日本が教えてくれた」と言っている。
 90歳近くになると脚が悪くなって日本にあまり来られなくなるが、1991年のバブル崩壊で苦しんでいるとき言った、「日本はそんなに悲観主義になってはいけない、もっと自信を持ったほうがいい。日本には実力があるはずだ。これまでの歴史の偉業を思い出して欲しい。いまの日本は、凸面鏡に自分を写して実体より小さく自分を見ている。平たい鏡で等身大の自分を見るがいい、それだけで悲観主義を克服し、自分を取り戻せるはずだ」と。

 最初に彼に会いに行ったときのことだが、それは1975-76年に彼が出した人口問題の本、日本訳の題は『見えざる革命』、アメリカの高齢化社会のことを書いた、非常におもしろいものだったので、その感想を持って会いに行った。彼がいうには、30冊以上の本を出してそのほとんどは世界的ベストセラーになったのだが、その本だけはアメリカ社会でボロクソに言われた。笑われ攻撃され、したがって最初は売れなかった。十数年経ってベストセラーになった。 出版当時、1970年代半ばのアメリカ社会の色は、グレイではなくグリーンだった。若者文化の時代で、若者が元気であばれまわっていた。その当時のベストセラーは『グリーン・レボリューション』(『緑色革命』)。そんなときに70歳がらみのひとが「アメリカは老いる、老人社会になる」と書けば、「バカをいうな」と誰も相手にしなかった。
 その書が攻撃されたもう一つの理由は、当時が冷戦時代だったことだ。アメリカ社会は、この本を危険思想だとレッテルをはった。つまり、高齢化が進むと年金基金が積み上がり、その基金が株主になる、その結果大衆株主がアメリカ資本主義の伝統なのに、年金基金を中心に、そうした組織的なものが主要なオーナーとなっていく、アメリカ資本主義が社会化する、社会化、ソーシャライズする資本主義、「ソーシャル」と書いたということで、「この男はこんな危険なことを言った」と批判され、「アカ」のレッテルが。そんななかでただ一人絶賛したのは、ケネス・ボールディングというエコノミストで、それ以外はどの書評もボロクソだった。
 ところが十数年したら、出版当時暴れていた若者は中年になり、こどももいる、次のリタイア後の生活ことが問題になる。アメリカ社会はだんだんグレイになっていく。しかし、若者時代がずっと続くと皆想定しているから、専門家は人口問題、高齢化問題についてまともな事を書いていない。それで、若者社会がグレイ社会に移行していくときに、意外にいい本があるといって発見されたのが、ドラッカーが十数年前に批判されたその本だった。
 人口の問題というのは、ずっと前から分かっている。日本の高齢化もそうで、世界の先端を走っているが、そのことはとっくに分かっていた。ことし65歳のひとが何人いるかは、65年前に決まっていた。日本に800くらいある大学は、その6割、7割が定員未達で、どんどん倒産過程に入っている、それがさらにひどくなっていく。20年後の学生数が、最大限見積もって何人になるかは、ことし生まれる赤ちゃんで決まってしまう。未来はいま決まっている。これは予測ではなく、いま分かっている現実だ。いまは過去に決まっていた。その一番の基本の基本が人口問題であって、このことをちゃんとおさえない限り、いかなる社会の運営管理、政治も企業の経営もうまくいかない、ということを彼が言っている。彼の経営論も社会論も、人口を見る視点であった。
 ソ連が崩壊する直前に、彼は『新しい現実』という本を書いている。ソ連があっという間に崩壊するなどと誰も思わないとき、結果としてはその崩壊を予測していたが、その分析を見てみると、やはり人口問題だ。白人ロシア人は、ソ連崩壊のずっと前から一人っ子となり、人口はどんどん減っていた。しかし、白人ロシア人中心の支配体制があり、人口膨張している非白人の、特に中央アジアのイスラム系のひとたちとの公平感が崩れていた。
 アフガニスタンに侵攻して敗けた。アフガンはイスラムだから、人口膨張している地域のイスラム系のソ連人を連れて行くと、どっちが敵味方かわからなくなる。戦わないかもしれないというので、一人っ子の白人ロシア人中心の部隊を送った。一人っ子だから、親は「戦うな、生きて帰ってこい」としか言わない。若者は、戦地に着いたとたんに皆塹壕に入って早く帰ることばかり考えている。結局敗けて引き揚げるロシア人は、みな喜んでいる、生きて帰れる、まるで勝ったみたいに。それは、基本的に人口問題が背景にある。人口爆発している時期のソ連だったら、アフガニスタンくらいあっという間に平定しただろう。
 人口問題は非常に重要な社会的問題であり、かつ数字で将来が現在分かる。日本の政府は、いまになって年金問題、税制問題で大騒ぎしているが、これは政治家の怠慢であり、いまのようになることは30年前から分かっている。しかし、ドラッカーが1975-76年に書いた『見えざる革命』という人口問題の本にあるように、それは「見えざる」、忍び寄る革命であって、様子がガラッとかわるのでなく、一日一日徐々に変わる、しかしコンスタントに変わっていく。石油危機のときは、石油価格が一夜で2倍、4倍になったが、そういうのではなく徐々に変わる。したがって皆気がつかない。しかし、10年、20年を振り返ってみると大変化している。人口問題というのは、そういう捉え方で、本当に前広に議論しなくてはならないということを、ドラッカーは盛んに言っていた。

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