渡辺利夫氏(拓殖大学総長・学長)

渡辺利夫氏(拓殖大学総長・学長)

〔Z 尖閣諸島衝突事件、ミュンヘン会談だったのか〕

 尖閣諸島事件は、恐らく我々に共通して大変ショッキングな出来事だったと思います。いまだにユーチューブで見ることができますが、あれをどういう事件として見たらいいか。先ほども申し上げたように、私は韜光養晦戦略の放てきの一つの材料として見たのです。
 あの事件に対する日本の対応は、昔、ヒトラーとイギリスの首相チェンバレンがやったミュンヘン会談と同じものではなかったかと私には見えます。
当時のチェコスロバキアにはドイツ人が多く住むズデーテンという地方があり、ヒトラーはこれを併合しようという烈々たる野心を持っていたのです。そこで、イギリスの首相チェンバレンがミュンヘンでヒトラーと会い、これを阻止しようとするわけです。
 チェンバレンはどういう結論を下したかというと、チェコスロバキア政府に対してズデーテンをヒトラーにくれてやれと勧告したのです。そうすれば彼の領土拡張欲望は充足され、ドイツの膨張主義はおさまると判断したらしいのです。事実はヒトラーによるますますの対外膨張でした。
 このミュンヘン会談におけるチェンバレンの平和と確執回避を望んだその対応が、結局は大戦に向かう分水嶺になってしまったという、歴史に名高い出来事です。確執回避と平和を願うあまり、チェンバレンがヒトラーに譲歩したという事実を観ると、日本もそれと同じことを尖閣諸島事件でやったのではないかと私には思われるのです。あのときの日本の指導部の対応は一体何だったのか、今、思い返してみても腹が煮えくり返るような感じがします。
 海上保安庁の巡視船が尖閣諸島を遊戈し、中国の漁船を監視しています。その巡視船に対し、中国の漁船が2度、体当たりを食らわせてきました。いくら何でも、これは捕まえます。捕まえたのですが、14人の船員と船は全部、即刻、帰してしまいました。船長さんだけは逮捕し、いろいろ調べるということで那覇地検が身柄を拘留し、その拘留期間の延長までしました。
 逮捕したとき、中国政府はすぐに船長を中国に戻せという強硬な抗議をしてきました。身柄拘留の延長が決まったちょうどそのとき、温家宝さんがニューヨークにいたのですが、直ちに釈放しないと中国は一段と強硬な措置をとると言いました。その強硬な措置とは何であったかというと、レアアースの事実上の輸出禁止とゼネコンのフジタの社員を拘束するというものでした。ほとんど即日、そういう行動に出たわけです。そして、日本はその強硬策に屈し、船長さんを外務省のお役人と一緒にチャーター機で福建省に帰します。その画像が残っています。もう英雄として帰っていったのです。あれが農民とは思えません。恐らく解放軍の兵士ではないかと想像されます。
 その釈放に際し、那覇地検は記者会見を開きました。そのときの記者会見の様子を私はまざまざと覚えています。何と言ったかというと、那覇地検は、日中関係の将来に配慮して船長を釈放すると言ったのです。そんなばかな話があるわけないですよね。那覇地検が日中関係の将来を配慮して船長を釈放するといったことが本来できるはずもありません。これはもう官邸が那覇地検に圧力を加えて言わせた、見え透いたシナリオだと思います。
 那覇地検の検事が「日中関係の将来を配慮して」という言葉を使って「釈放した」と言ったのは、「おれは言わされているんだよ」という、彼のせめてもの抵抗ではなかったかとさえ私には思われます。
 薄弱な日本の意思はこれによってはっきりと見透かされ、すぐに謝罪と賠償が中国から要求されました。四川省の成都で、恐らく官制と思われる1万人以上のデモが起こり、イトーヨーカ堂が襲撃の対象になるという出来事が起こっています。
 まだ、日本は中国に抗議する機会があったわけです。事件は9月7日に起こりましたが、その月の終わりにハノイで東アジアサミットが開かれています。そこで菅直人さんと温家宝さんのトップ会談が予定されていたのですが、中国側によってキャンセルされました。それから、ご記憶かもしれませんが、同じ年の11月下旬に横浜でAPECが開かれ、胡錦濤と菅さんが会うことになっていました。その画面を我々はテレビで見ていると思います。廊下のソファーで十数分話したということです。何とも残念な話です。これはミュンヘン会談のようだと言えないでしょうか。つまり、日本は領海を侵犯されるという、主権国家によってこれ以上ないはずかしめを平然と受けながら、それに対して司法的な手続きを一切とらなかったのです。これでは中国が何をやっても日本は引くという「学習効果」を中国にさせてしまったということもできると思います。
 実は、ストーリーはまだここでは終わりません。地検審査会というものがあります。無作為抽出された9名から成る那覇地検審査会は、起訴相当という判断を下したのです。そして、2回目の那覇地検審査会でも、メンバーの半分が交代のですが、起訴相当の判断を下しました。日本の法的手続では、地検審査会において、2度、起訴相当の判断が下されれば、強制起訴をしなければならないのですが、それを全くやっていません。もちろん、犯罪人の交換のための条約などは日本にありません。中国政府にいくら船長を出せと言っても出さないかもしれませんが、法に従う国である以上、そのことを中国政府にすべきなのに、それを全くやっていません。全くやらなかった日本政府の行動に対して、ジャーナリズムも何も言わないのです。

 <事実認識と自己認識>

 私どもは、日本という国家がミュンヘン会談の一方の主役となってしまったという事実認識と、国家主権侵害に怒りの声を上げることもない政府を我々自身が選んでいるのだという日本人としての自己認識を持たなければならない。ここがすべての出発点だと思うのです。私の個人的な考えを言うと、集団的自衛権の行使、日米同盟の片務性の修正、非核三原則というあいまいな原則の修正、何より憲法の前文と9条の改正が必要だと考えます。このようなことは日本人が本気になればできることです。問題は、今、そういうことを論ずることよりも、今言った事実認識と自己認識がなければ、改正や修正にまで到底進むとは思えないということなのです。

〔[ 中国経済の課題〕

 中国経済にブレーキがかかることはないのだろうかというのが、恐らく皆さんのご懸念ではないかと思いますが、私はその可能性はあると思います。中国の成長方式の特徴は非常にはっきりしています。外需と内需と分けると、外需においては輸出依存が圧倒的に高く、内需においては投資依存が圧倒的に高く、逆に家計消費が圧倒的に低いことです。この10年間ぐらいを見ると、中国の成長を牽引しているのは輸出と投資です。特にリーマン・ショック以降、その傾向がはっきりしてきています。
 輸出志向ですが、これは中国にとってだんだん厳しくなってきています。ご承知のように中国は中間財を輸入し、組み立て加工した最終財を輸出するという、多分に加工貿易的な傾向が強いのです。だんだん加工貿易から脱出しつつあるとはいえ、基本は外資を中心とした加工貿易です。しかし、賃金がどんどん上がってきており、それから主要マーケットのEUもガタガタになってきているということで、輸出の成長牽引力は従来に比べて非常に弱くなっています。
 そうすると、高い投資依存度をさらに高めていかなければならないということになります。投資を拡大することによって成長牽引をしていかなければならないわけです。そのようなことをやれば、中国の限界投資効率はどうしても下がっていかざるを得ません。
 しかも、言うまでもないことですが、投資は投資だけで一巡するわけではありません。最終的に家計消費の拡大となって経済が一巡するわけです。ですから、やはり内需においては家計消費を拡大するということが命題であり、胡錦濤・温家宝体制は、「和諧社会」というスローガンのもとに、それ以前の江沢民・朱鎔基時代に築かれた不平等な社会を是正することを命題にして誕生した政権なのです。そのための努力をいろいろやってきたのですが、一向に家計消費は盛り上がりません。なぜならば、所得の分配が不平等だからです。中国の所得分配に関する研究は非常に豊富ですが、過去10年間くらいを見ると、地域間で見ても、都市農村間で見ても、都市の内部で見ても、いずれで見ても不平等化は歴然としています。
 支出別で見ると、中国の国内総生産(GDP)で利潤率や税収率は上がっています。しかし、労働報酬比率(労働分配率)は、明らかに下降してきています。もちろん、中国は大きな国ですからボリュームゾーンと言われる中間層は大きく、それが日本の輸出を支えたり、日本に来て買い物をしてくれたり、観光地へ行ったりしています。そういうボリュームゾーンが出ていることは事実であり、中間階層市場が拡大していることは一面の事実なのですが、中国の不平等度はますます大きくなっています。中国のエコノミストの何人かは、中国経済の「ラテンアメリカ化」だと言っています。ご承知のように、ラテンアメリカは分配度の最も不平等の国々です。
消費性向の一番強いのは貧困層ですから、所得分配の不平等を是正していけば家計消費比率は上がっていくはずなのですが、逆に不平等がどんどん、進んでいるために、一向に家計消費が盛り上がらないという構図になっています。
 したがって、中国は困ったことだと考えながらも、高成長を維持するために投資依存を追求せざるを得ないのです。では、だれが投資をしているのか。主体は2つあると思います。
 1つは、国有企業です。皆さんは、中国で最近よく聞かれる言葉として「国進民退」というものがあることをご存じだと思います。国有企業が進んで、民間企業は衰退し、市場から退出していくということです。
 事業所数、生産額、就業者数のいずれを見ても、国有企業のシェアの減少は明らかです。しかし、利潤シェアのみは上昇しています。中国全体の国有企業というのは、中央政府傘下の国有企業も地方政府傘下の国有企業も山ほどあるわけですが、それが私営企業との競争に破れて次々とシェアを小さくし、事業所数、生産額、就業者数における国有企業のシェアは下がっています。それにもかかわらず利潤シェアのみは上昇している。ということは、ここにきわめて手厚い保護がなされているということを意味するに違いありません。
 実は、ここがポイントになると思うのですが、現在の中国では、既に江沢民・朱鎔基の時代から始まっていることなのですが、国有企業の戦略的再編をやっています。あるいは、「大を掴んで、小を放つ(抓大放小)」。つまり、大をつかんで、小をほうり投げるということです。「央企」と言われるのが中央政府管轄企業であります。重要基幹産業において中央政府管轄企業を100社台に絞り込み、そこに保護を集中し、それ以外は自由化させるという極めて荒っぽい独占・寡占化戦略を中国は展開しています。そして、央企に豊富な保護措置を与える、金融的な支援を与えるという方向を中国は明らかに選択してしまったようです。巨大な国有企業のトップは紛れもなく高級幹部の子弟がやっています。
 一番新しい統計を見てみると、130社の中央政府管轄企業があり、この130社が国有企業全体の営業収入の55%、利潤総額の57%、上納税額の61%を占めています。
 ご承知と思いますが、『フォーチュン』という経済誌は、世界売上高上位企業の10社とか100社とか500社とかを毎年報告しています。昨年の『フォーチュン』によると、中国石油化工集団公司(SINOPEC)、中国石油天然気集団公司(CNPC)、それから中国国家電網公司(チャイナモバイル)の3社が上位10社に入っているのです。
 リーマン・ショック後、中国は、適度緩和金融政策、積極的財政政策に打って出しました。中国が財政出動と金融緩和を同時にやったのは、改革開放以来、初めてのことなのですが、ものすごいお金が動きました。このお金は130社ぐらいに集中的に向かっていったのです。
 国民党が上海にいたとき、四大家族官僚資本、つまり蒋介石、孔祥熙、陳果夫・陳立夫兄弟、宋子文が、浙江財閥を中心に中国の製造業・サービス・運輸のシェアをほとんど支配していた時代がありましたが、現在はこの四大家族官僚資本時代の再来ではないかと私は思います。
 あの巨大な中国において、現在130社ですが、さらに絞り込んで100社前後に持っていきたいということです。これらは、いくら投資をして限界効率が下がろうと、どうなろうと、外国との競争は排除し、国家が完全に基幹産業として育成しているので、潰れることはまず考えられません。既得権益はまことに巨大です。中央政府の管轄企業が政府から優遇措置を受けて巨大な投資を行っていることが、投資依存を強化している1つの要因になっているというわけです。
 それから、もう1つは地方です。地方政府の投資衝動は、まさに衝動です。産業振興、インフラ建設、都市建設等における省・市・県レベルの投資衝動は際立って強い。なぜこんなに地方にお金があるかというと、錬金術をやっているからです。社会主義社会における土地というのは所有権が非常にあいまいなので、所有権のあいまいな土地を非常に安い補償費を農民に払って買い上げ、それを開発区に仕立てて、そこに特に内外資を導入するということをやっています。中国には既に1万近くの開発区があると言われています。すさまじい土地譲渡収入が省・市・県レベルの懐に入るということです。
 地方政府の土地譲渡収入は地方政府収入の実に5割を超えているのです。信じられないぐらい大規模な錬金術です。この額がいかに大きいかということを示すために中央政府の国家財政収入と比べてみると、その33%に相当します。土地譲渡収入は地方政府の財政収入の5割に達するこの土地譲渡収入はすべて予算外収入であり、地方政府がどこへ投資しようと、議会や住民からのウォッチングにさらされることはあり得ず、自由に使うことのできる資金です。
 年金、医療、教育、環境その他、中国の地方にはやらなければならないことが山ほどあるのですが、今、そんな投資効率が悪いところに投資なんかできやしない。ともかく成長率を上げなければならないのです。地方によっては一段と高い成長率をコンスタントに保たなければ雇用が維持できないという別の緊急のテーマもあり、何とかしてそこを保っていかなければならないのです。
 しかし、先ほど申し上げたように投資は投資だけで一巡するわけではなく、家計消費にまで拡大しなければ中国は安定的な成長ができません。今の傾向を続けていくと、中国はいずれ投資反動不況の局面に入ってしまう危険性があります。
 以上です。ご清聴、ありがとうございました。

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